2018-03-13 第196回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
先日、北海道矢臼別にも取材に行ったんですけれども、沖縄の一〇四号越えの実弾射撃演習、移転をした、沖縄の負担を我々が軽減するために受け入れたと言っていたんですが、行ってみて驚くのは、十七キロまで長距離砲の演習をしているんですね。それからクラスター弾のような新型爆弾の訓練をしています。これ、沖縄ではやっていない訓練です。やっていない訓練を沖縄の負担軽減という形で移転をしている。
先日、北海道矢臼別にも取材に行ったんですけれども、沖縄の一〇四号越えの実弾射撃演習、移転をした、沖縄の負担を我々が軽減するために受け入れたと言っていたんですが、行ってみて驚くのは、十七キロまで長距離砲の演習をしているんですね。それからクラスター弾のような新型爆弾の訓練をしています。これ、沖縄ではやっていない訓練です。やっていない訓練を沖縄の負担軽減という形で移転をしている。
○副大臣(橋本聖子君) 現在、米軍が北海道矢臼別演習場で実施しております沖縄県の県道一〇四号線越えの実弾射撃訓練の移転訓練についてですけれども、先ほど防衛省の方からもお話がありましたけれども、米軍ホームページ上で訓練の概要等について公開をされているものの、これまでのところ、訓練そのものの公開や地元に対する直接の説明等は行われていないものというふうに外務省も承知をしております。
一方、沖縄でそういうことがありながら、鈴木氏は、例えば県道一〇四号線の実弾砲撃訓練場、これを北海道矢臼別に移転するに当たって、北海道の三つの自治体の首長さんに対して矢臼別演習場への移設受け入れを強要し、押し切った。そういう過程の中でどんなことが起きたかというのは、今回の予算委員会でもるる明らかにされました。
北海道矢臼別でのアメリカ海兵隊による実弾砲撃演習と鈴木宗男議員の介在についてであります。 私どもの佐々木憲昭議員が衆議院で、防衛庁の内部資料について、これを明らかにしましたけれども、防衛庁長官、この内部資料は本当に内部資料だったということでしょうか。
私は、北海道矢臼別も王城寺原も北富士も、演習のとき現地へ視察に行きましたし、地元に実際ありましたけれども、通知書は白紙なんですね。抗議されて百五十五ミリりゅう弾砲をやりますと言うだけで、自衛隊の実施要領と全く違うのです。今もまだわからない。
九月の北海道・矢臼別の演習では沖縄の一年分に匹敵する二千八百一発、北富士の約五百五十発と王城寺原、すべて合計いたしますと、約四千発であります。 沖縄は九五年二千七百八十四発、九六年に三千四百五十五発で、沖縄では行われなかった夜間実弾発射訓練も二百数十発行われました。
さらに重大な問題は、ガイドラインの見直しに先立って、空母インディペンデンスの小樽寄港を初め、九月だけで日本に三隻の空母が寄港し、北海道矢臼別演習場での米海兵隊の砲撃訓練が夜間まで行われ、まるで占領下のように米海兵隊が民有地まで無断で進入することまで起こっています。これで主権国家とどうして言えるでしょうか。このような米軍の一連の無法な行為を政府は断固として拒否すべきです。総理の答弁を求めます。
○風間昶君 それは性質が違うといったって、現実に何百人かの海兵隊員が実弾射撃訓練で北海道矢臼別に来ると、ある意味ではロシアも含めてそれなりの今、別だと、そんなに考えられないと言ったけれども、そうじゃないんですよ、来れば。
○池端委員 今、北海道矢臼別演習場の問題について長官から御答弁がありました。確かに、別海町の議会は、昨年の十二月十八日に受け入れという決議をいたしております。そのことは事実でありますけれども、しかし、関連する厚岸町、浜中町では依然反対の態度は崩していない、私どもはそのように承知しておりますし、北海道庁としてもその二つの町のこういう方針を了解をしておる、こういうふうに聞いているわけでございます。
したがいまして、例えば先ほど北海道矢臼別の演習場に西部方面、九州からでありますとかあるいは中国、関西から何年に一回か二年に一回か、現在どうなっておるか知りませんけれども、そういうことをやった場合に、九州の部隊あるいは四国の部隊あるいは中国の部隊というのは行った当初なかなか射撃がうまくいかないんです。
二百三ミリりゅう弾砲とか新百五十五ミリりゅう弾砲等は最大射程が大体三十キロということでございますが、現在我が国で最も長い射撃訓練ができるところは北海道矢臼別演習場、これは約十八キロでございますがここが最大の演習場、一カ所でございます。それからその次に撃てますのが東北の王城寺原、これが十一キロ、それからその他のところはほとんど九キロ以下、比較的大きい北富士等でも六キロというような程度でございます。
○説明員(依田智治君) 先ほどお答え申し上げましたように、一番大きいのが北海道矢臼別でございまして、これが師団規模で演習できる唯一のところというような状況でございます。五十七年以降北方機動演習というようなことで、それぞれ向こうへ行って、あそこで師団規模の実際の感覚を身につける訓練をするというようにやっておるわけでございます。